近況とこの間の情勢について
お久しぶりです。この間立て込んでいてこちらのブログがなかなか更新できませんでした。ご愛読の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
さて、その最大の理由であることが…
今日の勤務を以って退職となるからです。
すでに先月半ばには退職届を提出し、今月15日付(残りは有給消化)で退職が決まっております。そのため新たな職探しもはじめていまして、一つ今の居住地近くで見つかったのですが、それは結局原子力発電所での勤務となるため、自らの健康面などでのリスクがあまりにも大きく、今一度考え直しております。有給期間中にいわきでも仕事を探し、良いところが見つかれば実家に戻り、そこから通勤する予定です。
さて、この間様々な政治・社会的情勢の変化が起こりました。それぞれについて簡単ですが、自分なりの視点で考察してみます。
1、暫定税率問題
先日福田首相はこの期限が過ぎ、「暫定税率が維持できなかったこと(と言っても「つなぎ法案」によりガソリン以外は維持していますが)」について「謝罪」するということがありました。
僕は何を言っているんだと思いました。暫定税率を維持して一番喜ぶのは誰かを考えると、結局資本家、特にゼネコン関係人々ぐらいだと思うのであって、僕ら労働者の立場からすれば「暫定」と言いつつよくも何十年も余計に税を取ってくれたな、ということです。しかもガソリン以外にもあるなら当然それらも廃止すべきです。こういうことでしか、いや、労働者から余計に税を取る方法をとっても国や地方の財政は成り立っていないということは、国側、地方側の「無駄遣い」によるものではないのでしょうか?
また、この問題に関して宮崎の東国原知事などが「暫定税率維持は地方の声」と喧伝していましたが、これも違います。先ほど触れましたように暫定税率が無いと地方の財政が立ち行かなくなるということ自体がすでに「地方切捨て予備軍」であったのであり、またこれに絡んでいる「道路特定財源」も、これは東国原知事なども言っていましたが、結局大都市中心に回され、しかも道路以外のものにも使われており、地方の道路整備は後回しにされ、整備するかと思えば必要性に疑問があるところも多いのです。
つまり、国が地方切捨てを見直さない限り、労働者は「暫定」税率による搾取にあえぎ続けることになるのです。しかも、こうして作られた財源の一つである「道路特定財源」も大都市やその建設を請け負った大手ゼネコンにしか使われず、一部の者の私腹を肥やすものであり続けることでしょう。
道路の整備にしても本当にそれが住民の声なのかどうかを、特に重要と思われるものについても意見をもっと集める体制が必要です。それらなしに暫定税率や道路特定財源を維持することに、僕は反対です。
2、アントニオ・ネグリ氏来日拒否
これは入管体制、そして、日本という「国家体制」が多少なりともそれに疑問を抱かせるようなものに国民が触れる機会を奪う問題の両面で捉える必要があるでしょう。
一点目についてはネグリ氏が過去に逮捕歴があることが拒否の理由となりました。しかしそれでは日本に来る外国人はすべて逮捕歴が無い人に限られることになりますが、そんなことが「ルール」になっているなど聞いたことがありません。「テロ対策」を口実にこうして外国人が日本に来る権利を奪うことは許せません。
しかし、より大きいのは2点目だと僕は思います。ネグリ氏と言えば『帝国』の著者(もう一人がハート氏)であり、現代の帝国主義体制について彼らなりの視点で切り込んでいったものです。僕はこの本を読んだことはなく、間接的に中核派系の団体がこれを批評したもの(彼らからすれば「永遠の抵抗」や「マルチチュード」という言葉が気に入らないようです。僕から見れば中核派とて「マルチチュード」の一翼を担えると思えますし、「永遠の抵抗」というのも「権利のためのたたかいをやめるな」ととらえることも可能だとは思いますが…)に触れたのみですが、少なくとも「今の世界のあり方は正しいのだろうか」と疑問を発せさせるものではあるなと、それを通しても思えました。
そのような著書を書いた人物を、しかも、東京大学の周年行事の講師として招待したにもかかわらず入国を拒否したのは、日本による国家的な意図があるとしか思えません。つまり、多少なりとも反体制的(それも「左」的)なものから国民を遠ざけさせ、「物言わぬ小国民」とさせるための意図が。
だとすれば、これは国民の側にとっても「知る権利」、「学ぶ権利」の侵害であり、ますます容認できるものではありません。
3、ワーカーズアクションin東京でのデモ弾圧
今回最後にはやはりこのことに触れなければなりません。先月16日、渋谷で「ワーカーズアクション」が行われ、青年労働者が中心となって「戦争反対!」、「労働者の運動で革命起こそう」という、実に解放的なテーマを引っ下げて集会とデモが行われました。これに僕も参加したかったのですが、仕事により断念してしまいました。
そして、このときに行われたデモに対し、警察がデモ隊が渋谷駅前スクランブル交差点に差し掛かったところで4人が逮捕されてしまうという事件が起こりました。これは目立つ場所で「こいつらは警察に暴力を振るう団体だ」と見せしめ的に公務執行妨害で逮捕するという見せしめ的な逮捕です。
その様子がyoutubeにありますので、それを載せておきます。
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事件を扱う掲示板やmixiの「9条の会@mixi」などを見てみますと、参加者と思われる方からの書き込みがあり、やはり警察の側からデモ隊に押し入って、そこでぶつかった女性参加者を「公務執行妨害」扱いにしたというのが真相のようです。
どんな団体だろうがデモをしたり「戦争反対」と叫ぶ権利があり、それは憲法で保障されています。それを警察が弾圧するということは、国家体制が戦争をやりたがっていることの裏返しであり、また、国民に2の件同様「ものを言わせない」ためのものでもあります。これを放置すれば戦争にむかってしまいます!そもそもデモを行う際には「ここからここまでデモ行進したい」と申請すればいいらしいのですが、それでも許可されるのは片側2車線ならその片方程度です。僕はこれ自体もまた「表現の自由」に対する体制側の不当な介入ではないかと考えるようになりました。あらかじめ「弾圧」された表現方式に従うだけのデモが果たして意味を持つのかどうか。「ワーカーズアクション」や「11.6」でのデモは参加者にも沿道の人々にもそういった問題提起まで行ったのだな、と今は考えています。
ところで、この動画を撮った人もこのデモ参加者を一緒くたに「プロ市民」とか「中核派」と規定していますが、そんな括りを民衆の側が持っていることを悲しく思います。確かに「中核派」も多く参加していたでしょう。でもそれと同じくらい、いや、それ以上に現状に我慢ならない労働者がいたことでしょうし、中には「中核派自体は嫌いだけど、物言わぬ人にはなりたくない」と言う人だっていたかもしれない。それ以前に、「中核派」と言われている人々そのものの多くもまた一般社会の中では労働者であるのであって、本来的にそれ以上でもそれ以下でもないはずです。
それを、思想信条や行動の仕方の違いで自ら「奴らは○○派だから関係ない」とかいって自分自身から彼らを分断してしまう…こういう「派閥主義」が日本でまかり通っているのはなぜなのかとつくづく思いますし、「こんなだから日本は封建社会だよな」という印象も抱いてしまいます。
ただし、そうした「封建性」は実は解放的なテーマを人々に訴えた「中核派」の中にもあることを「デモが弾圧された」事実とは「別個の問題」として一言触れておきます。どうやら最近分派があったらしく、現在の主流派が彼らを「○○一派」として敵視しているのです。大きくは向いている方向に違いがないにもかかわらず、こうして「派閥」ができ、それへの所属で人間やグループを、左翼側までみる節があることに、日本の「封建的『家』社会」の根の深さを、僕は見てしまいます。
冒頭で「簡単に」と言いましたが、結局長くなりました。次の更新は転職のことが片付いてからになるかと思います。またしばらく間が空いてしまいますが、ご了承下さい。
今回はこれで以上です。
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